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子育てするすべての人へ③

「おなかが痛い・・」が始まりで、二学期を数日休んだ当時小学校6年の娘は、その後も朝から行けることはありませんでした。さすがに「なにかおかしい」と感じていた私も、仕事があるので一週間のうちに2日程度しか自由に動けませんので、どうしたものか悩み始めていました。

周辺状況としては、厳しめの学年主任の先生が担任で、周りの学年と比べると割と騒がしい学年、一学期が終わった時点で学校に来られなくなったお友だちが2,3人いました。そのため、夏休みのある日、保護者(全員お母さん)が20名近く集まって話し合いをしたのです。「担任の先生に、どういう考えなのか訊いた方がいい」という意見も出ました。私は先生にも考えがあっての学級経営だと思ったので、もう少し見守ろうという意見でした。基本的には先生の方針に保護者は口出ししない方がうまくいくと思っていました。今もその考えに変化はありません。ただ、学校へ行けなくなったお子さんのお母さんは、やりきれない気持ちを抱えていました。それも十分に理解できます。まさか、その後自分がその気持ちを味わうことになるとは、その時点では夢にも思いませんでした。

二学期は行事が盛りだくさんですよね。(今思うとありがたい時代でした)娘は児童会長だったので、運動会では校旗を携えて行進したり、あいさつをしたりという立場。副会長のお子さんに代役をお願いするなら、早い時期でないと迷惑が掛かります。本人も気がかりで、「行きたい」という気持ちと「でも苦しい」という気持ちで揺れていたようです。結局、運動会はお友だちの活躍を見たいというので、見学者として行きました。私からすると「え?運動会に行けるのに、なぜ普段行けないの・・?」不思議な気持ちです。

そのころ私は、さまざまな行事のこともあって、学校にはよく行っては校長先生とお話をしたり、対策を練ったりしていました。そんなとき、50代の女性の先生から「大塚さん、お母さんの手づくりのご飯を食べさせておけば、何があってもちゃんと育つわよ」と励ましてもらいました。(私にとっては、ちょっぴりギクリとしましたが)担任の先生からも学校の様子を聞いていました。それを娘に伝えていないと、どんどん学校から離れてしまうような恐怖が私の中にあったのです。結局、修学旅行も行けず、社会科見学はなんとか行きましたがほとんど口を利かないような状態だったようです。

家にいても、パソコンをいじったり、刺繍をしたりしていたようです。私は焦って、なんとか行かせたいと行事のたびに休みをとって、誘ったりしていました。今思うと、それが娘にはプレッシャーだったのかもしれません。「行けば苦しい、でも行かないとお母さんを悲しませる」そんな気持ちだったのかもしれません。状況が良くなるわけがありませんよね・・・それでも、卒業式にはなんとか出席し、「中学校こそは!」と本人も私も明るい希望を持っていました。そのころには、一人で中学校にある「さわやか相談室」に何度か通っていたからです。中学校に私服で一人で行けるのに、なぜ小学校に行けないの・・?となぞは深まるばかりでした。私も娘とは別に「さわやか相談室」へ相談に行っていました。ずいぶんと助けられました。

さぁ、中学校はどうなる・・?(次回へつづく)

【現在】夫(54)サラリーマン、私(50)東松山ハリカ店長、息子(23)大学院1年、娘(20)大学3年、同居の義父(88)、義母(83)

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